2011年 06月 12日
TPPと農業問題 |
解説委員室ブログ:NHKブログ、「視点・論点 「TPPと農業問題 2」」、 (2010年11月09日)。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/65358.html
『東京大学教授 鈴木宣弘 東京大学教授
我が国とアジア及び環太平洋地域との自由貿易協定、FTA締結をめぐっては、様々な協定が、併存、または、並行的に交渉されておりまして、貿易ルールの錯綜による様々な弊害も深刻化しつつあります。
アジアの先頭を走ってきた先進国としての日本が、我が国やアジア諸国、ひいては世界全体の持続的な繁栄を視野に入れて、こうした錯綜した状況を整理し、我が国の長期的な国益に合致する方向性を提示する必要があります。
FTAの本質は「差別性」にあります。FTAはWTO、世界貿易機関の「無差別原則」、例えば、日本がモンゴルにカシミヤの関税をゼロにしたら、世界のその他のすべての国に対してもカシミヤの関税をゼロにしなくてはならない、の例外として、特定の相手だけに差別的に関税撤廃等の優遇措置を提供するわけですから、それに参加しない国は必ず不利益を被る宿命を背負っています。このため、「仲間はずれ」の不利益を回避しようと、自らも仲間にいれてもらおうと躍起にならざるを得ないわけで、自動車や家電等の輸出産業があせる気持ちもわかります。しかし、その視点のみで、一部の産業の目先の利益や損失から、やみくもに飛びつくのを国益と称するのは適当ではありません。
「農業のせいで国益が失われる」という「農業保護vs 国益」かのような論調は間違いです。むしろ、「輸出産業の利益のために失う国益の大きさ」も考えなくてはなりません。実は、海外展開のある企業は2000 社に1社程度ですから、大多数を占める中小企業にとっては輸入品との競争激化が懸念されます。そもそも、我が国は、これまでのFTA交渉で繊維、皮革・履物、銅板、コメ、乳製品等のセンシティブ品目、金融、医療等、労働者の移動も含むサービス分野を開放困難な分野として位置づけてきました。
とりわけ、農産物の中でわずかに高関税が維持されているコメ、乳製品等、1割の品目が関税撤廃されると、食料自給率は14%に向けて低下すると農水省は試算しています。これは、国民生活の根幹をなし、世界的にも武器と同じ「戦略物資」とされる食料をほとんど海外に依存することを意味します。コメすらほとんど自国で供給できず、国土と地域の荒廃が加速します。水田の持つ洪水防止機能や生物多様性も失われます。2008年のようなコメ輸出規制が起これば、ハイチやフィリピンのコメ暴動による死者の発生はまったくの他人事とは言えなくなるかもしれません。つまり、これは農家保護の問題でなく、国民生活と国家存立の問題なのです。
食料自給率14%で国民の命を守ることはできるでしょうか。かりに輸出産業がさらに発展できたとしても、地域社会が崩壊し、国土が荒れ果てる中、安全な食料を安く大量に買い続けられることを前提にして突き進むのが、日本の将来のあるべき姿なのかどうかが問われています。これは我が国の国家のあり方に対する重大な選択です。
食料の確保は、軍事、エネルギーと並んで国家存立の重要な三本柱の一つであるというのが、世界の常識です。アメリカは日本を「標的」と見なしてきたとも言われています。ウイスコンシン大学の教授は「食料は武器であり、直接食べる食料だけでなく、畜産物のエサが重要である。まず、日本に対して、日本で畜産が行われているように見えても、エサをすべてアメリカから供給すれば、完全にコントロールできる。これを世界に広げていくのがアメリカの食料戦略だ。そのために農家の子弟には頑張ってほしい」と授業で教えていたと言われます。「東の海の上に浮かんだ小さな国はよく動く。でも、勝手に動かれては不都合だから、その行き先をフィード、エサで引っ張れ」と言う言葉が象徴しています。これがアメリカにおける食料の位置づけです。
これらを総合すると、例外を認めない全面開放のTPP、環太平洋連携協定、に無理に急いで参加することの意味はどこにあるのでしょうか。日本が乗り遅れるのでなく、輸出産業が乗り遅れるという問題でありますが、輸出産業の長期的、持続的な発展にとっても、TPPでなくてはならないのでしょうか。
長期的、持続的な日本の繁栄の観点からのひとつの重要な視点は、図のように、欧州圏や米州圏の統合の拡大・深化に対する政治経済的拮抗力としてのアジア圏の構築の必要性です。
日本とアジアと、ひいては世界全体の均衡ある発展のためには、まず、アジア諸国が、お互いに配慮し合った柔軟なFTA締結によってアジア圏を構築する形で、成長のエネルギーを共有する足場を固めることが重要であり、我が国は、「懐の深い」リーダーとして、中国への対抗心という低次元の考えではなく、難しいけれども、中国と協力して、それを推進する必要があります。
もちろん、これは、アメリカ等との緊密な経済連携、友好関係が必要ないという意味では全くありません。対等な立場で、本当の意味での友好関係を築くためにも、その前提としてのアジアのまとまりが、まず重要だと思われます。
アメリカがAPEC、環太平洋協力会議21ヵ国全体での自由貿易協定、FTAAPを提唱したり、それに向けての一里塚と位置づけられてきたTPPに参加表明しているのは、世界の成長センターであるアジアがアジアだけでまとまり共栄しようとすることを攪乱する側面も隠されていることを認識する必要があります。
農産物については、これまでのFTA交渉では、高関税で自由化困難な品目については、相手国の農業発展のための協力強化で理解を得、他の分野に先行して合意できたケースが多く、農業が障害になって締結が遅れたというのも間違いです。例えば、交渉中断中の韓国も、最大の理由は、素材・部品産業の打撃と対日赤字の増加を懸念する韓国が要請している産業協力に対して、日本側は、そこまでして韓国とFTAを結ぶ気はないと回答しているからです。自国の目先の利益のみを押しつける「大人げない」国を卒業し、アジアとともに持続的発展を目指すことを長期戦略の柱に据えるべきではないでしょうか。
経済学的に見ても、柔軟なFTAこそが、域外国の損失も緩和し、日本の国益も向上することも忘れてはなりません。高関税品目を含めると、FTAの差別性による弊害が最大化されてしまいますので、それを緩和するには高関税品目を除外するのが妥当であり、しかも、日本の輸入増加による国際価格の上昇も考慮しますと、消費者の利益よりも生産サイドの損失と関税収入の減少の合計のほうが大きくなってしまい、日本の国益としても、高関税品目の除外が正当化されます。表は、農業全体を除外した試算になっていますが、このことを数字で示したものです。日米FTAでは、農業分野を除外すると、域外国の損失は、百万ドル単位で、4645から1505大幅に軽減されますし、日本の利益は824から1966に大幅に増加します。
次に出てくるのは、かりにFTAにおいてコメを完全なゼロ関税にしても所得補償があるから大丈夫という議論ですが、現在の国内生産、約900万トンが維持できるように1俵14,000円の全国平均のコメ生産費と約3,000円の輸入米価格との差額を補填するには、概算でも1.7兆円程度の財政負担が毎年コメだけで生じる可能性があり、およそ現実的ではありません。その他の農産物も含めると、必要補填額は少なくともこの2倍近くになる可能性もあります。これを国民が許容し、財源も確保できるというなら、その根拠を明確にし、国民に約束をしてからにしないと、空手形になる可能性が極めて高いと思われます。
以上のように、TPPへの参加の是非については、安易な対応が許される問題ではなく、まさに我が国の長期的な国家戦略が問われていることを認識すべきであると思います。』
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/65358.html
『東京大学教授 鈴木宣弘 東京大学教授
我が国とアジア及び環太平洋地域との自由貿易協定、FTA締結をめぐっては、様々な協定が、併存、または、並行的に交渉されておりまして、貿易ルールの錯綜による様々な弊害も深刻化しつつあります。
アジアの先頭を走ってきた先進国としての日本が、我が国やアジア諸国、ひいては世界全体の持続的な繁栄を視野に入れて、こうした錯綜した状況を整理し、我が国の長期的な国益に合致する方向性を提示する必要があります。
FTAの本質は「差別性」にあります。FTAはWTO、世界貿易機関の「無差別原則」、例えば、日本がモンゴルにカシミヤの関税をゼロにしたら、世界のその他のすべての国に対してもカシミヤの関税をゼロにしなくてはならない、の例外として、特定の相手だけに差別的に関税撤廃等の優遇措置を提供するわけですから、それに参加しない国は必ず不利益を被る宿命を背負っています。このため、「仲間はずれ」の不利益を回避しようと、自らも仲間にいれてもらおうと躍起にならざるを得ないわけで、自動車や家電等の輸出産業があせる気持ちもわかります。しかし、その視点のみで、一部の産業の目先の利益や損失から、やみくもに飛びつくのを国益と称するのは適当ではありません。
「農業のせいで国益が失われる」という「農業保護vs 国益」かのような論調は間違いです。むしろ、「輸出産業の利益のために失う国益の大きさ」も考えなくてはなりません。実は、海外展開のある企業は2000 社に1社程度ですから、大多数を占める中小企業にとっては輸入品との競争激化が懸念されます。そもそも、我が国は、これまでのFTA交渉で繊維、皮革・履物、銅板、コメ、乳製品等のセンシティブ品目、金融、医療等、労働者の移動も含むサービス分野を開放困難な分野として位置づけてきました。
とりわけ、農産物の中でわずかに高関税が維持されているコメ、乳製品等、1割の品目が関税撤廃されると、食料自給率は14%に向けて低下すると農水省は試算しています。これは、国民生活の根幹をなし、世界的にも武器と同じ「戦略物資」とされる食料をほとんど海外に依存することを意味します。コメすらほとんど自国で供給できず、国土と地域の荒廃が加速します。水田の持つ洪水防止機能や生物多様性も失われます。2008年のようなコメ輸出規制が起これば、ハイチやフィリピンのコメ暴動による死者の発生はまったくの他人事とは言えなくなるかもしれません。つまり、これは農家保護の問題でなく、国民生活と国家存立の問題なのです。
食料自給率14%で国民の命を守ることはできるでしょうか。かりに輸出産業がさらに発展できたとしても、地域社会が崩壊し、国土が荒れ果てる中、安全な食料を安く大量に買い続けられることを前提にして突き進むのが、日本の将来のあるべき姿なのかどうかが問われています。これは我が国の国家のあり方に対する重大な選択です。
食料の確保は、軍事、エネルギーと並んで国家存立の重要な三本柱の一つであるというのが、世界の常識です。アメリカは日本を「標的」と見なしてきたとも言われています。ウイスコンシン大学の教授は「食料は武器であり、直接食べる食料だけでなく、畜産物のエサが重要である。まず、日本に対して、日本で畜産が行われているように見えても、エサをすべてアメリカから供給すれば、完全にコントロールできる。これを世界に広げていくのがアメリカの食料戦略だ。そのために農家の子弟には頑張ってほしい」と授業で教えていたと言われます。「東の海の上に浮かんだ小さな国はよく動く。でも、勝手に動かれては不都合だから、その行き先をフィード、エサで引っ張れ」と言う言葉が象徴しています。これがアメリカにおける食料の位置づけです。
これらを総合すると、例外を認めない全面開放のTPP、環太平洋連携協定、に無理に急いで参加することの意味はどこにあるのでしょうか。日本が乗り遅れるのでなく、輸出産業が乗り遅れるという問題でありますが、輸出産業の長期的、持続的な発展にとっても、TPPでなくてはならないのでしょうか。
長期的、持続的な日本の繁栄の観点からのひとつの重要な視点は、図のように、欧州圏や米州圏の統合の拡大・深化に対する政治経済的拮抗力としてのアジア圏の構築の必要性です。
日本とアジアと、ひいては世界全体の均衡ある発展のためには、まず、アジア諸国が、お互いに配慮し合った柔軟なFTA締結によってアジア圏を構築する形で、成長のエネルギーを共有する足場を固めることが重要であり、我が国は、「懐の深い」リーダーとして、中国への対抗心という低次元の考えではなく、難しいけれども、中国と協力して、それを推進する必要があります。
もちろん、これは、アメリカ等との緊密な経済連携、友好関係が必要ないという意味では全くありません。対等な立場で、本当の意味での友好関係を築くためにも、その前提としてのアジアのまとまりが、まず重要だと思われます。
アメリカがAPEC、環太平洋協力会議21ヵ国全体での自由貿易協定、FTAAPを提唱したり、それに向けての一里塚と位置づけられてきたTPPに参加表明しているのは、世界の成長センターであるアジアがアジアだけでまとまり共栄しようとすることを攪乱する側面も隠されていることを認識する必要があります。
農産物については、これまでのFTA交渉では、高関税で自由化困難な品目については、相手国の農業発展のための協力強化で理解を得、他の分野に先行して合意できたケースが多く、農業が障害になって締結が遅れたというのも間違いです。例えば、交渉中断中の韓国も、最大の理由は、素材・部品産業の打撃と対日赤字の増加を懸念する韓国が要請している産業協力に対して、日本側は、そこまでして韓国とFTAを結ぶ気はないと回答しているからです。自国の目先の利益のみを押しつける「大人げない」国を卒業し、アジアとともに持続的発展を目指すことを長期戦略の柱に据えるべきではないでしょうか。
経済学的に見ても、柔軟なFTAこそが、域外国の損失も緩和し、日本の国益も向上することも忘れてはなりません。高関税品目を含めると、FTAの差別性による弊害が最大化されてしまいますので、それを緩和するには高関税品目を除外するのが妥当であり、しかも、日本の輸入増加による国際価格の上昇も考慮しますと、消費者の利益よりも生産サイドの損失と関税収入の減少の合計のほうが大きくなってしまい、日本の国益としても、高関税品目の除外が正当化されます。表は、農業全体を除外した試算になっていますが、このことを数字で示したものです。日米FTAでは、農業分野を除外すると、域外国の損失は、百万ドル単位で、4645から1505大幅に軽減されますし、日本の利益は824から1966に大幅に増加します。
次に出てくるのは、かりにFTAにおいてコメを完全なゼロ関税にしても所得補償があるから大丈夫という議論ですが、現在の国内生産、約900万トンが維持できるように1俵14,000円の全国平均のコメ生産費と約3,000円の輸入米価格との差額を補填するには、概算でも1.7兆円程度の財政負担が毎年コメだけで生じる可能性があり、およそ現実的ではありません。その他の農産物も含めると、必要補填額は少なくともこの2倍近くになる可能性もあります。これを国民が許容し、財源も確保できるというなら、その根拠を明確にし、国民に約束をしてからにしないと、空手形になる可能性が極めて高いと思われます。
以上のように、TPPへの参加の是非については、安易な対応が許される問題ではなく、まさに我が国の長期的な国家戦略が問われていることを認識すべきであると思います。』
by 1107nhys-3
| 2011-06-12 04:46